概略
今回インタビューにお応え頂くのはメンタルコーチの宮本普次さんです。
トップアスリートやオリンピック選手まで、人の心と体に寄り添い施術される宮本さんのスタイルはどうやって育まれてきたのか、自己との向き合いの中にそのヒントがありました。
ワタシノセナカとは
「自己肯定感」が低いといわれる日本人。
それでも自身の個性を活かし、第一線で活躍するオトナはたくさんいます。
彼らはどのように自己を肯定し、他者を受け入れ、活躍に結びつけているのでしょうか。
第一線で活躍するオトナに直接インタビューし、その核心に迫ります。
プロフィール
メンタルコーチ/「人生が変わる学校®」主催 全身骨格矯正師®/身体と心の整体院「BodySign (日本橋人形町)」総院長
宮本 晋次 様
整体師として37年従事。平成22年、身体と心の整体院「BodySign」創業。一人ひとりの症状に合わせたオーダー施術ができる数少ないサロンとして、トップアスリートやオリンピック出場経験者からも厚い信頼を得る。出版書籍は全4冊で10万部超え、代表作は8万部超えのベストセラーとなった『歩けなくなるのがイヤならかかとを整えなさい』(アスコム)。
「心と体は繋がっている」を信条に、心と体両面からクライアントに寄り添い、30年以上メンタルのコーチングセッションを施術と並行し行う。2021年より「潜在意識を開く専門家」として新たに活動を開始、「自己肯定感を上げたい」「自分らしく生きたい」と願う人に寄り添い、人生を豊かにする活動を展開している。
クライアントが「思考のクセ」に気づき、「思考のクセ」を手放すサポートをしています
私は現在「潜在意識を開く専門家=メンタルコーチ」として、悩みを抱える方の心のケアを行っています。セミナーやセッションを通して、ご自身が望まれる人生を手に入れるために、悩みやトラウマの原因を引き出し、人生をより豊かにするための活動です。
もともとは「心と身体を扱う整体師」として37年ほど活動しており、現在ではプロスポーツ選手、オリンピアンなどトップアスリートの施術も担当しています。
16歳で腰痛を克服した経験を通じて「心と体は繋がっている」ということを実感した私は、さまざまな挫折を経験したのち、「心と身体の両面から寄り添いサポートできることは、私の唯一無二の『使命』である」と確信し、現在に至ります。
「メンタルコーチ」いう肩書きで活動している私ですが、未来の目標を設定し、その目標を達成するために伴走し、クライアントが抱えている問題のさらに奥に隠れているものを見つけ、それを解放するサポート役のような役割を担っています。
ある出来事が起きた時、AさんとBさんとでは、その出来事に対し感じる「感情」が異なります。なぜ違いが生まれるかというと、Aさん、Bさんそれぞれに「思考のクセ」や「生活環境で培われた常識」が存在するからです。それらのことを「概念」や「観念」と呼ぶこともあります。それらがあるからこそ、「出来事」に対し「瞬間的な感情」が生まれ、その「感情」が悩みや苦しみの原因になります。やがて、同じような出来事が起こるたび、その「感情」に苦しむことになります。まずはその人の中に存在する「思考のクセ」や「生活環境で培われた常識」というものを見つけること、無意識で感じていたことを意識化することが大切で、私はそのサポート役を担っています。
一つの例をお話すると、実のお母さんとの関係に悩む40代の女性が私のもとに相談に来られました。その女性は子ども3人と実母(子どもにとってはおばあちゃん)と一緒に暮らしています。子どもたちの自立を考え、子どもに手を出さず自分で考え行動させる方針の女性に対し、おばあちゃんはすぐに孫の世話を焼こうとします。女性は幼い頃から実母に小言ばかり言われて育ったといい、実母とはケンカが絶えない状況でした。
「お子さんたちに反抗期はありましたか?」と尋ねると、「無かった」とのこと。子どもたちも、世話を焼きたがるおばあちゃんを疎ましく思い、ケンカになることも多かったそう。そこで「おばあちゃんがお子さんたちの『敵』役を買ってくれたからこそ、おばあちゃんに思い切り反抗して発散できた。だからお子さんたちに反抗期がなかったのかもしれませんね」と伝えたのです。
すると女性は「母が、子どもたちの反抗期の『盾役』になってくれたんですね!」とキラキラした瞳でいいました。それまでは「母は私の考えを受け入れてくれない、私を否定ばかりする」と思い込みイライラしていたけれど、実は子どもたちが成長するうえで必要な「反抗」の場を提供し、受け止める「盾」役になってくれていた。子どもたちはおばあちゃんに安心して「反抗」することで、「反抗期」を無事通過できていたことに気づいたのです。
お母さんへの感謝の思いが溢れた女性は、ケンカが絶えなかったことがウソのように、今では仲良く暮らしています。「お母さんは私のことをすべて否定する」という女性の長年の「思考のクセ」が、大きく変化した瞬間に立ち会いました。
「治すなら、バイクじゃなくて人間を治さないか」整体師を目指したきっかけ
今ではこのような活動をしている私ですが、実はずっと父親との関係が悪く、8歳の頃から「父のような人間には絶対にならない。オレは一人で生きていくんだ」と親に反抗し続け生きてきました。
私の実家はお店をやっていて、仕事人間の父は朝から晩までずっと働き、家ではタバコとお酒をやり、家族に機嫌をぶちまけるような人でした。母もそんな父に気を使い、休みなく店の手伝いと家事に追われ、両親と過ごした思い出はほとんどありません。
8歳の頃、父を受け入れられなくなる決定的な出来事があり、それからずっと父を否定し、「オレは父の力など借りず一人で生きていくんだ」と決め、なんでも自分でやってきました。「オレは人の力を借りなくとも一人でなんでもできるんだ」と周囲を遠ざけ、人の話を聞かず、次第に周りとの溝が深くなっていきました。
といっても、両親の元で暮らしていた(んですけどね)。家でも学校でも周りに溶け込めない子で、そんな調子だったので学校ではイジメにあい、家では両親との対立がより激しくなり、さらに自分の殻に閉じこもっていきました。
高校時代は柔道をしていましたが、無理がたたりひどい腰痛を患い、椎間板ヘルニアと診断されます。病院を何件ハシゴしても痛みもシビレもひかず、夜も眠れなくなり心と体のバランスが取れなくなりました。相談できる人はおらず、毎日がどん底でした。
そんな折、知り合いから紹介してもらった著名な先生のもとにワラをもすがる思いで行くと、施術開始後5分もしないうちにぐっすり眠っていました。施術後はウソのように体が軽くなり、号泣していました。「人生の師匠」と呼べる人との出会いでした。後から思えば、師匠は私の心と体、両方のケアをしてくれたのです。自分のことなどロクに話したこともなかった私が、師匠のもとに治療で通いさまざまな話をするうちに、心も体も解きほぐされました。師匠は、私の理想の父親のような人だったのです。面白い話をしてくれて、私の話をうなずきながら聞いてくれました。
そんなある日、師匠から「お前将来何やるんだ?」と聞かれ、当時高校に内緒でバイクに乗っていた私は、将来は整備士になりたいと答えました。
すると、師匠がいうのです。
「同じなおすなら、人間を治してみないか。お前が本気なら、俺の技術をお前に伝承する」と。私は即答で「お願いします」と伝え、16歳から整体師の修行が始まりました。
自分の心と体をこんなに楽にしてくれた師匠のような人になりたいとすぐに弟子入りし、高校在学中から、高齢者施設などにボランティアで出張施術する師匠の手伝いもするようになっていましたが、高校卒業後はカイロプラクティックの専門学校に通います。
腰痛で苦しみ、師匠に救われた経験から「心と体はリンクしているからこそ、両面のケアが必要だ」という信念が生まれ、師匠の教えをもとに心と体のどちらにもアプローチする整体院をハタチそこそこで開業します。
しかし、師匠に出会ってからも「オレは一人でなんでもできるんだ」「人の話を聞かない」という私の自己中心的な姿勢は改善されませんでした。働いたこともない、商売も知らない私が整体院を経営できるはずがありません。時にはお客様と口論になることもありました。建物まで購入した整体院を半年でつぶし、多額の借金を抱え、昼間は整体院で働き夜はカラオケ屋でバイトという生活をしながら、借金を返済する日々が続きました。
「お前はうそつきだ」本当の自分と向き合うキッカケとなった出来事
私の人生が大きく変化する、気づきのタイミングは40歳を過ぎてから訪れます。
整体院経営に行き詰まっていた時に手を差し伸べてくれた、私にとって恩師ともいえる経営者の方が、突然、余命半年と宣告されたのです。ガタイもよくケンカッ早い方だったのに、みるみるうちに痩せ細っていきました。
その方のお見舞いに行った時、言われたのです。「お前はうそつきや」と。ホントの自分から逃げているだけではないかと。
はじめは「えっ?」と思いました。こんなに必死に生きているのに、なぜそんなことを言われなければいけないんだろうと。でも、少しづつわかったのです。オレはその場を取り繕う生き方ばかりしてきたんだなと。自分を過信し周囲を受け入れず、本来の自分から目を背け逃げていた。自分でつくり上げた理想の「自分像」から外れることを恐れ、「自分像」から外れた自分はダメな奴と思い込んでいたのです。私は「こうしなければいけない」「こうあるべきだ」とガチガチの鎧を着て、鎧を決して脱ごうとしなかったのです。
けれど、理想の「自分像」なんてものは「虚像」にすぎませんでした。
本来の私は、一人で生きていけるわけもなく、一人でなんでもできる人間ではありませんでした。
それから、人の話を聞くことができるようになりました。自分の非を認めて謝ることができるようになりました。そのうちに、相手の心のより深いところに触れ、寄り添い、理解できるようになったのです。それまでも施術と並行してメンタルケアも行っていましたが、より相手の話を聞き、共感し、相手の中から答えを導き出せるスタイルに変化しました。それまではなかなか心を開けずにいたお客様も、気づくと悩みを打ち明けてくれる関係になっていたのです。
それ以来人生が大きく変化した私ですが、逆に絶対に譲れない、譲りたくないポイントも自分の中で明確になりました。
たとえば後輩施術師の「マニュアル通りにやってさえいればいい」と思っているような態度を見ると、「なんでそうなんだ?」と相手を非難する感情が湧きます。我々の仕事はお客様の命を預かる仕事だからこそ、お客様のことを第一に考えていない姿を見ると許せなくなるのです。
世代間で仕事に対する意識の違いがあること、また「整体」に対する世の中のニーズが変化していることも事実です。ですが「我々の仕事はお客様の命を預かる仕事」という思いは私にとって決して譲ることのできないポイントなので、そこは譲りません。「お客様の命を預かる仕事をするからには、マニュアルだけこなせばいいという考えでは困る」いうことを後輩に伝えています。
そんな変化のあった私が、父との関係がどのように変化したのかについてもお話しますね。
「父のような人間には絶対にならない」と120%の怒りの感情で父を否定し続けた私ですが、ある時ふと、父がしていたイヤなことと同じことをしている自分に気づき、愕然としたのです。自分の大嫌いなヤツが、自分の中にもいた。大嫌いなヤツの大嫌いな部分が、自分の中にもしっかり存在していたんだと。
ショックでしたね。「あんなヤツみたいにはならない」と決めたのに、自分の中にも父と同じ自分がいたのですから。相手のイヤな部分って、実は自分のイヤな部分だったりするものです。相手は自分を映す鏡なんですね。
それから、「父にはこういうところがある」「自分にも父と同じようなところがある」ということを、「そういう人もいる」「そんなところが(自分の中に)あってもいい」と受け入れるよう意識するようになりました。今までは「そんな父は許せない」「そんな自分は許せない」と「×」をつけていたのですが、「×」をつけることをやめて、「それもいい」と受け入れるように意識したのです。
もちろん、いきなりイヤだったものを受け入れることは簡単ではありません。ただ、「イヤだ」と思っていたことに気づくこと、その感情も受け入れ、「そういう人がいてもいい」と少しづつ受け入れることで、120%の怒りの感情が、90%になり、80%になり、心が軽くなっていきました。
正直、今でも父のことは苦手です。苦手なものはどうしたって苦手で、それは仕方のないことです。無理に苦手な感情をゼロにする必要はありません。ただ、「許せない!」と「×」をつけるのと、「そういう人がいてもいい」と受け入れるのとでは大きく違います。さらには、「×」をつけずに受け入れられた自分に、「○」をつけてあげることが大切です。
父への怒りの感情はいつか必ず手放せると分かった今は、心穏やかに過ごせるようになりました。それでも、父のことは今も苦手です(笑)。
スリ傷に絆創膏を貼るように、心が傷ついた時、誰もが自分で治せる未来を実現したい
今、心の不調を訴える人が急増しています。
転んでヒザを擦りむいたら、周りの大人が傷口を消毒して絆創膏を貼ってくれた。熱を出したら、おでこを冷やしてゆっくり寝かせてくれた。このように体の不調は周囲の大人がケアしてくれたおかげで対処法が分かりますが、心の不調は自分でケアする方法をなかなか教えてもらう機会がありません。学校でも教えてくれない、親も教えてもらった経験がないので子どもに伝えられません。
これは今の日本にとって、とても深刻な問題です。
そこで私は「心と身体の両面から寄り添いサポートすることこそが、私の唯一無二の『天命』である」という思いから、このたび「人生が変わる学校®」を開校し、2022年6月から「自分らしく生きるためのセミナー」0期生の講座を開催しています。こちらのセミナーは、ワーク中心の授業を通じて「3つの未来」を目指す内容になります。
1.(潜在意識に根深く残る)思考のクセを手放して【悩みを解決】する
2.理想を明確にして【目標を達成】する
3.自分らしく生きるために【豊かな人生や人間関係】を手に入れる
という3つの未来です。
「自分を変えたい!」と必死に努力して「変わった!」と思えても、しばらくするとまた元の自分に戻っているというお悩みをよく聞きます。なぜこのようになってしまうかというと、お一人おひとりの中にある「思考のクセ」が原因です。「思考のクセ」とは、「こうしなければいけない」「こうなるべき」といった、自身の「生活環境の中で培われた常識」から生まれたもので、本人も気づいていないことが多いものです。
しかし「それが正しいと信じているのは実はあなただけ」だったりするのです。「普通はこうでしょう」とよく聞きますが、その「普通」が、実はあなただけの「普通」であることも意外に多いものです。
そのようなことに気づき、それを受け入れ、そして最終的には手放すことで、「自分の魅力や強みに気づき、自己肯定感を上げ、人生をラクに生きられる」よう支援します。
日本人はマジメなので、自分を変えなければと焦ると「こうすべき」「こうしなければ」「ちゃんと」といった言葉が出てきます。この言葉が出てきたら「思考のクセ」にとらわれてしまっているサインです。
そんな時に大切なことは「思考のクセに気づき、引きずらない」こと。
無意識のうちに、同じことをグルグル考えてしまうことはありませんか。そんな時は「あ、私は今思考を引きずってしまっているな」と気づき、そんな自分を否定しないことが肝心です。「私は今、思考のクセにハマっていたんだ」と、自分に「×」をつけず受け入れてあげることが大切です。
たとえば、パッとこんな行動を取って気分転換することもオススメですよ。グルグル同じことを考える「思考クセ」に気づいたら、立ち上がって水を飲みに行く、肩を回す、深呼吸するなど。ちょっとした行動でいいのです。そうすることで気分がガラッと入れ換わり、引きずらず、新たな行動に移すことができます。簡単なことなのでぜひ試してみてください。
「自己肯定感を上げる」。
一番大切なことは、「自己否定をしない」ことだと私は伝えています。「自己肯定感を上げよう」と上げることばかりに意識を向けても、なかなかうまくいきません。まずは自分が「自分を否定している」ことに気づき、さらにはなぜ否定しているのか、その理由に気づくことが大切です。
「自己否定をやめることで自己肯定感が上がる」というよりは、自己否定をやめることで自分を責めなくなるので、心に余裕が生まれます。その余裕こそが、自分を変えるためには必要なのです。コップに水を溜めたくても、満杯のコップには水は溜まりませんよね。
「人生が変わる学校®」の活動を通じて、100年後、200年後、この日本でも親が子どもの心のケアも当たり前にできる時代になっていることを信じ、前進します。
今からではもう遅い、などということは人生には何一つありません。
オトナが「自分の心のケア」ができることで、その子どもにも心のケアの方法が伝わり、さらにその子どもへと引き継がれていきます。まずは我々が自身の心のケアができるようになることが大切で、それが可能になった段階で、次の世代にも継承されていくのです。
誰もが「心のケア」ができる未来へ。その一端を担うことが、私の「天命」です。
「人生が変わる学校®」
セミナーの他、マンツーマン対話形式の個別セッションも行っている。1回ごとの「単発セッション」の他、3か月、6か月、12か月の「継続セッション」もあり。詳細はこちら。
https://jinsei-kawaru.com/lp1/
https://youtu.be/ly0dgiaLSN0
今回宮本さんにインタビューをする中で、過去の踏み込んだ出来事に対して、ご自身の感情や考えを素直にお話される様子がとても印象的でした。
ご自身をありのままに受け入れているからこそ、人にも寄り添えるんだなぁとしみじみ感じた時間となりました。
インタビューワー
事務局メンバー 柳橋 歩(1児の男の子のパパ)
事務局メンバー 大久保 剛
取材ライター
長島綾子(一児の女の子のママ)