【ワタシノセナカ】体を壊して初めて気づいた、自分の感情と向き合うことの大切さ|高橋 有希子 様 〜自己の個性に気づき、活かすヒント〜


概略

今回インタビューにお応えいただくのは、株式会社マインドフルラーニング代表取締役の高橋有希子さんです。「オルタナティブ教育24年」というキャリアをもつ高橋さん。教育者として日々学習者と向き合い、自己肯定感を育むことに尽力する高橋さんは、ご自身とどのように向き合って今のスタイルを築いたのでしょうか。そのヒミツに迫ります。

ワタシノセナカとは

「自己肯定感」が低いといわれる日本人。
それでも自身の個性を活かし、第一線で活躍するオトナはたくさんいます。
彼らはどのように自己を肯定し、他者を受け入れ、活躍に結びつけているのでしょうか。
第一線で活躍するオトナに直接インタビューし、その核心に迫ります。

プロフィール

1_ワタシノセナカ_高橋 有希様_プロフィール

高橋有希子様

株式会社マインドフルラーニング代表取締役
米国認定:学習スタイルマスターコーチ

10代で6年半オーストラリアに住み、親元を離れホームステイや寮生活を送る。帰国後早稲田大学教育学部に進学。卒業後野村證券に総合職入社。のちに通信制高校「東京インターハイスクール(現)」の立ち上げに携わる。米国の「セルフポートレート™学習法」を日本に初めて導入し、20年間で1000人の中高生と保護者に実践。ハーバード大学、早稲田大学、慶応大学などの進学実績を作る。2018年に独立し、2022年法人化。現在はインフィニティ国際学院の学院長補佐も兼任。「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」を普及させ、不登校、不適合という言葉をなくしたいという思いで活動する。「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」の「学習スタイル認定コーチ」は全国に30名以上在籍。三人の子の母。

一人ひとりの「得意」を尊重し、自己肯定感を育む教育を提供したい

2_ワタシノセナカ_体を壊して事故を起こして初めて気づいた、自分の感情と向き合うことの大切さ|高橋 有希子 様

「オルタナティブ教育24年」自身のキャリアについて語るとき、私はこのように表現しています。「オルタナティブ教育」とは、「独自の教育理念を掲げ、子どもの個性を活かした教育」「多様性を重視した教育」のこと。個人事業から2022年に株式会社 マインドフルラーニングを創業し、米国生まれの「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」とコーチングを用いて、一人ひとりの強みを引き出し、学びに生かす方法を提案しています。

「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」とは、個々人の「気質」「学びを効果的に習得する方法」「興味」「得意」「才能」などを引き出し、それらを生かした学習スタイル、学習目標をコーチと一緒に考え実践するメソッドです。私が2000年に「東京インターハイスクール(現)」という、登校義務のない通信制高校の立ち上げに関わった際、生徒をサポートするメソッドとしてアメリカで学び、帰国後日本版として導入しました。

たとえば英単語を覚える時。何度もスペルを紙に書いて覚える人もいれば、文字だけでなく絵も一緒に見て覚える人、声に出して覚える人などさまざまなタイプがいます。静かな環境で机に向かうことで集中できる人もいれば、音楽を聞きながら、好きな食べ物を食べながら集中できる人もいる。

そのような一人ひとりの「学びやすさ」を的確に診断し、さらには「興味」「得意」「才能」を生かした学習スタイルを実践することで、どのような変化が生まれると思いますか。

学ぶよろこびが生まれます。好きな学びを習得することで自己肯定感が育まれます。さらには「みんな違っていい」という意識が芽生え、他者を尊重し、互いの意見を受け入れることができます。24年間オルタナティブ教育に携わり、3人の子どもを育てる中で、自分のスタイルが尊重されることで子どもがイキイキと自信に満ち溢れ活躍する姿をたくさんみてきました。

私が何よりも大切にしていることは、「苦手よりも得意を生かすこと」。どうしても私たちは「苦手」に目がいき、克服しようともがいてしまいがち。でもそれは大きな間違いです。「苦手」より、まずは「得意」を意識してのばしてあげることが大切なのです。

得意なことって、自分では当たり前なので気がつかないことが多いもの。たとえば、昆虫が好きで、昆虫図鑑をじっくり読んで昆虫の名前と特徴を全部覚えた子がいたら、それはとても素晴らしいこと。私にはできません。「ママはとてもできないよ。すごい集中力だね!」と声をかけて意識づけしてあげると、その子の中に自信の芽が生まれます。

子どもは好きなこと、興味あることから学びはじめます。大人も同じですね。もしかすると社会に出てもあまり役に立たないかもしれません。ですがそこで「自分の得意」が尊重され認められると、自信が生まれます。自信がつく体験を積んだ子どもは、ある時「数学が苦手だから学んでみようかな」と言い出すのです。なぜなら、好きなことを学んだことによって成功体験が生まれるから。成功体験を繰り返していけば、自己肯定感が育まれ、自然と苦手なことにも意識が向けられるようになるのです。

2000年に立ち上げから携わった「東京インタースクール(現)」は、子どもを教えない、日本で初めてコーチングを取り入れた学校です。教科書がないので、子どもたちはコーチと相談して学習計画を立てます。

たとえばお料理が好きな学生が英語を学ぶ場合。どのように英語をマスターしたいか、学習コーチ(担任の先生のような役割)が伴走しながら答えを導きます。「どんな風に英語に触れたら楽しいと思う?」というコーチの質問から、「海外のレシピ本を買って、翻訳しながら学ぶ」という意志を引きだします。テストはなく成果物としてレポートを提出し、単位がもらえるというシステムです。評価も生徒の自己評価をベースにしています。

開校当初は「そんなのは学校ではない。教育ではない」など色々言われました。先生が教えない学校などあるか、通学しない学校など学校ではないと。今では「これこそが学びの本質だ」と確信を持っています。この方法は中高生だけでなくもっと幼い頃から必要だ!さらには子どもを育て、教育する立場である親御さん、先生にこそ必要なメソッドだ!との思いから、2018年に独立、現在に至ります。

ちなみに「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」の受講は、まずは親御さん、先生に受けていただき、その後にお子様に受けていただいています。お子様だけの受講はお断りしています。なぜなら、まずは親や先生が自身のスタイルを意識することが大切だから。せっかく学びの場でお子様が「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」を体得しても、お子様をサポートする大人の意識が変化していなければ、体得したものが意味をなさないからです。

日本には教育の選択肢がないとずっと思っていました。登校するか、不登校になってしまうか、二択しかありません。中間があってもいいのではないか、もっと選択肢があってもいいのではないかと。もちろん、学校に登校するのが合う子どもは登校すればいいし、合わない子どもには不登校以外の選択肢があっていい。このメソッドが当てはまる方は大勢ではないかもしれませんが、きっと必要な方がいるはずなので、その人に届けたいと日々奮闘しています。

ガードレールに車ごと突っ込むほど疲れていたことに気づかなかった私

3_ワタシノセナカ_体を壊して事故を起こして初めて気づいた、自分の感情と向き合うことの大切さ|高橋 有希子 様

前回の記事、正しいと思い込んでいた「べき・ねば」を手放して見つけた、「私の生き方」|小元智之様 〜自己の個性に気づき、活かすヒント〜を読んで、「コーチング」と「カウンセリング」は、どちらも「相手の無意識にアプローチする」点が共通していると改めて認識しました。やはり「目に見えない部分=無意識=自分の感情」を丁寧に紐解くことで、問題解決に繋がるんですね。困っていることや起きていることは、「氷山の一角」にすぎません。海に浮かんで目に見える氷山はほんの一部で、実は海底にその何倍もの大きさが隠れている。そんな「目に見えない部分」の大切さに気づき、人生が大きく変化する経験をしたことが何かお役に立てるかと、今回取材を受けることにしました。

今でこそ、コーチングを提供する傍ら自分の感情ともコミュニケーションがとれるようになったのですが、それができるようになったのは起業してからのこと。それまでは「事故を起こすほど疲弊しきっていた」ことにさえ気づかないほど、自分の気持ちと向き合うことができなかったのです。

2018年のある朝、私は出勤する夫をいつものように車で駅まで送った帰り道、車を廃車させてしまいました。赤信号で停車し、青信号になったのでアクセルに足をかけたのですが、気づいたときには車体の左側がガードレールに接触しているという事態に。

幸い怪我人もなく、私も怪我することはありませんでしたが、左側のボディがガードレールに押しつぶされて、タイヤはパンク。「もしかすると私はひどく疲れているのかもしれない」と気がついたその時から、食べられない、寝られない、動悸が止まらない、という症状に悩まされるようになったのです。病院を受診すると、自律神経失調症と診断されました。

それまで仕事と子育てに猛進していたので、「一週間ゆっくりすれば落ち着くだろう」と軽く考えたのですが、症状はますますひどくなるばかり。

知り合いの心療内科の先生を紹介してもらい受診すると、「よく頑張ってきましたね。休養が必要です」と即入院する事態に発展。それから2か月もの時間を病院で過ごしました。

私は通い慣れた道で廃車にしてしまうほど、疲弊していることに全く気づかなかったのです。それほどまでに、自分の身体や感情と向き合うことをないがしろにしていました。

頑張り屋で長女気質。「寂しい」と言えず歯を食いしばった過去

4_ワタシノセナカ_体を壊して事故を起こして初めて気づいた、自分の感情と向き合うことの大切さ|高橋 有希子 様

父の仕事の関係で、10代の6年半をオーストラリアで過ごしました。中学までは日本人学校に通い、英語にあまり触れない生活を送っていたのですが、高校は、両親が住むシドニーから離れたパースという街の高校に進学を選択します。父の知り合いの家にホームステイしながら通学しました。はじめは日本に一人帰国し、日本の高校に進学すると宣言したにも関わらず、やっぱり両親と離れることが寂しかったのです。それでも三人兄弟の長女として「寂しい」と言えず、オーストラリアにいながら親元離れた高校を選択しました。

英語もできないアジア人は高校にはいませんでした。次第に心を閉ざし、孤独を感じないようにと勉強とスポーツに打ち込みました。高校3年の時、もう限界だと親元に戻り転校したのですが、転校先でも心を開くことができず、孤独な高校3年間でした。オーストラリアの大学に進学を考えていた矢先、父のアメリカ転勤が決定。一人オーストラリアで暮らすより日本に戻ることを決心しました。

元々政治に興味があったので、早稲田大学教育学部の、とりわけ政治や社会を深く学べる学科に進学しました。先のことを考えて行動するというより、興味あることに飛び込んだのですが、いずれ教育に関わるとは夢にも思いませんでした。

卒業後は野村證券に総合職として入社し、富裕層向けの営業を担当します。当時、飛び込み営業をしてからご縁ができたお客様がいて、その方がのちの「東京インターハイスクール(現)」立ち上げ時の校長になった方だったのです。野村證券を退職し、別の会社で育休中だった私に、「君にこの仕事はピッタリだと思うんだよね」と声をかけてくれました。面白そう!という思いから学校の立ち上げに参加します。

「東京インターハイスクール(現)」は2000年に創立。立ち上げに参加したあとも三人の子育てをしながら学校運営に携わりました。8年関わる中で学校も少しづつ変化し、「私が理想とする教育ではないな」と辞めることを考えていた矢先、創業者から「もう一度学校再建に力を貸してくれないか」とオファーがありました。2008年のことです。

それから、当時社外取締役であった男性と二人三脚で「東京インターハイスクール(現)」再建に向けて舵を切ることになりました。

やるからにはトップの座でチャレンジしたかった私は、再建の相談を受けた際「校長のポジションに就きたい」と希望します。結果、社外取締役が校長になり、私は彼と対等な関係でいられるようにと株を購入。トップにはなれないけれど、対等な関係でいられるならいいやと当時は考えたのです。

新しいチャレンジにワクワクしながら、仕組みを作り直し、人材を育成し、学校再建のため必死に働きました。お陰様で学校は順調に大きくなっていきましたが、いつからか、歯車が狂い始め…

学校ではイライラすることが増え、家庭では子どもが思春期真っ盛り。夫の帰宅は毎晩午前様。全てが自分の身にのしかかっているような重圧感を感じるようになりました。

そんな時、車をガードレールにぶつけて廃車にしてしまったのです。

ようやく気づいた、「頑張ることに依存していた」私

2か月の入院を経て、症状はだいぶ回復しましたが、完全に健康を取り戻すには時間がかかりました。自律神経って崩れてしまうとなかなか戻らないのですよね。事故を起こすまで自分が疲弊し切っていることに気がつかなかったのです。疲れたら休むことは当たり前ですが、当時の私は「休む」ことがどういうことなのか分かりませんでした。

「休めないんです。頑張って誰かの役に立たなければダメなんです」と医師に訴えると、「それは依存だよ。頑張ることに依存しているんだよ」と言われました。
依存ってどういうこと?帰り道に本屋さんに行き「依存」について必死で本を読み漁ったことを覚えています。

その時私はセルフケアの方法を全く知りませんでした。ある時「君ね、ブレーキを踏むことを覚えたら症状は落ち着くよ」と言われ、「ブレーキってどうやって踏むのですか?マニュアルください!」とお願いするほど。今思えば「ブレーキを踏むこと」とは、自分と向き合う事だったのですが、無意識に向き合うことを避けていたのですね。

その後、自分の子どものように大切にしていた組織を離れることになるのですが、そのときに初めて「目に見えない部分=自分の感情」に全く意識を向けていなかったことに気がつきました。自分が疲れていることさえ気づけなかった。「自分がどうしたいのか」「自分が何を感じているのか」など意識することもなく、「組織をこうするべき」「人材をこのように育成するべき」「7時までには夕食を作るべき」という「べき」にとらわれていたのです。

本当に困ったとき、本気で変わろうという力が生まれる

「東京インターハイスクール(現)」を辞めた後、体調を完全に整えたくてしばらく働くつもりはありませんでした。

ほどなくして長年の友人でもある会社経営者が声をかけてくれたのです。
「独立したんだね。おめでとう!うちの会社のコーチング研修をお願いできるかな!」

20年間コーチングを実践してきたものの、「自分自身に向き合うのが難しい状態の私が役に立てるだろうか?」と自問自答しました。それ以上に友人は、20年間の教育にコーチングを取り入れて学校を大きくした実績を信じてくれたのです。

それから、二度と同じ失敗をしないためにもコーチングをもう一度徹底的に勉強しました。クライアントと対話する前に、まずは自分と向き合おう。「目に見えない部分=感情」と向き合おう。自分と対話し、自分のご機嫌は自分で取れるようになろう。企業研修のプログラムを必死で作りながら、コーチングの勉強に明け暮れました。いただいた仕事を全うすることに全力で臨みました。結果、研修は大成功。このとき、自分でもはっきりと自覚できるような「成功体験」をしたのです。自身との対話が劇的に変化することによって、他者にもそれを伝えることができるようになりました。

本当に困ったとき、人はどうにかしなくちゃと奮い立つのですね。私は身体を壊さなければ、自分の感情を無視し続けていました。自分の感情と向き合わなければ、人の感情に向き合うこともできません。私は感情に向き合わず「べきべき」で押し通そうとする独裁者になっていたかもしれません!

ここで、自分の感情と向き合うために実践したことをご紹介します。

◆NVCジャパン・ネットワークが作成する「気持ち/感情・未完成リスト」を自宅の目につく場所に貼り、眺めては「今の感情の言葉」を見つけた。「くつろいだ」「ウキウキした」「もどかしい」「憂鬱な」など、感情を表現する単語が並んでいる「気持ち/感情・未完成リスト」は、無料でダウンロード可能。

※『NVC(Nonviolent Communication)』アメリカの臨床心理学者マーシャル・ローゼンバーグが体系づけたコミュニケーション方法。日本語では「非暴力コミュニケーション」「共感的コミュニケーション」と訳され、「思いやるためのコミュニケーション方法」ともいわれる。

◆感情がザワザワした時に、すぐに反応せず一旦脇に置いて、あとから振り返りの時間を設けた。お風呂で湯船に浸かりながら「あの時どんな気持ちだったかな」「あの時はなにが満たされていなかったのかな」と振り返ってみる。散歩の時間を作り、自然の中で振り返ってみる。自分が心地よさを感じている時に、感情を振り返るのがオススメ。

自分の感情と向き合えると、人とのコミュニケーションも楽になる

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「なんで私ばかりがたいへんな思いをしなくちゃいけないの!」
「食べた後の食器くらい洗ってくれてもいいじゃない!」

感情と向き合う前は、定期的にストレスが爆発し、こんなセリフで家庭が炎上したものです。

自分の感情と向き合うようになってからは、「私は今、疲れているからあなたにお皿を洗ってもらいたいんだ」と言葉で認識できるようになり、「無意識」だったものを意識化できるようになりました。「自分の状態を自分で認識し、必要であれば相手に伝える」という選択肢を取れるようになったのです。「私は今、あなたが協力的でないと感じて悲しいんだ」と心の状態を伝えられるようになり、怒りを爆発させる必要がなくなりました。

栄養を学び食生活を変え、体調も元に戻り、むしろ以前よりずっと健康体に。なにより「休む」ことができるようになりました。スケジュールが立て込んで「疲れたな」と感じたら、あえてスケジュール上で「休みの時間と認識できる」状態を作るようにしています。

感情と向き合うまでは、「他責」ばかりしていたんですね。あの人が変わらないからだ、環境がいけないからだ、と。感情と向き合うようになってからは、矢印が自分に向くようになり、「自分ごと」としてものごとを見られるようになったのは大きな変化です。

さらに、自分のダメなところも人に話ができるようになりました。それまでは、自分の弱さを人に見せたり、悩みを正直に話すことは「受け止めてもらえないかもしれない」「攻撃されるかもしれない」という恐怖が先立ち、とてもできなかったのです。研修で学習者に伝えることと自分の行動に乖離があってはいけないと、学びの中で自己開示を覚え、自分ができないこと、失敗したことを人前で率直に語れるようになりました。私の話を聴いてくれた人の反応は恐れていたものではなく、逆に信頼していただき、お仕事を頂く機会が増えたのです。

自分とのコミュニケーションが取れるようになると、周囲の人とのコミュニケーションが楽しいものになりますね。

以前は自分自身のことが嫌でイヤで仕方なかったのですが、今では人間らしく愛しい存在だと感じています。

苦手意識があった「チームで成し遂げる」ことに挑戦する

6_ワタシノセナカ_体を壊して事故を起こして初めて気づいた、自分の感情と向き合うことの大切さ|高橋 有希子 様

これから私が挑戦したいこと。それは「多様な人と協働して、何かを成し遂げる」ことです。

オーストラリアで過ごした高校時代のつまずきや、前職を離れるきっかけになった理由。
それらが「複数のメンバーとチームで協働する」ことへの苦手意識や拒否感を植えつけていました。

個人事業主時代にも「自分一人で、できる範囲で」頂いたお仕事には丁寧に真摯に向き合ってきましたが、ある時気づいたのです。「コミュニケーションを教えている立場なのに、自身がまだ実践していないことがある」と。

同時に、一人では対応しきれないほどのお仕事を頂くようになりました。
「そろそろ、あなたの人生のミッション(「学習スタイル診断(Self-Portrait™)」とコーチングを子どもから大人まで伝える事)は、チームでやらなければ成し遂げられないよ」と、神様からメッセージが届いたように感じたのです。

そこで、学習スタイルコーチ養成講座を修了した仲間に声をかけて、ぽつりぽつりとお手伝いしてもらうようになりました。チームで仕事することに苦手意識があったので、手探りの日々です。時には「有希子さんは自分勝手だ」と言われてしまうこともありました。あきらめず、粘り強く、日々振り返りながら、同じ方向を見てくれる仲間を少しずつ増やしていきました。

そんなことを続けているうちに、あるときふと気がついたのです。
「チームで仕事することが苦手ではなくなっている」と。

きっかけは、現在、学院長補佐を務める「インフィニティ国際学院」でした。「インフィニティ国際学院」は、世界を舞台に生きる力を身につける、全寮制のオルタナティブスクールです。オルタナティブスクールと聞くと「みんなと合わせたり、決まったことを学んだりするのが苦手だから個人で学ぶ」というイメージを抱かれがち。その点「インフィニティ国際学院」では、現場のチューター(担任の先生のような役割)がコーチングという手法を交え、生徒と対話し世界中を旅しながら共同生活をする、オルタナティブ教育には珍しい、ユニークなスタイルの学校です。

その学校で、現在私は中等部のチームビルディングやカリキュラム作りにコミットし、生徒に寄り添い伴走しています。国立公園内にある中等部の学生寮に2週間単位で共同生活するなかで、生徒や仲間に隠すことはなくなりました。感情をシェアしたり、率直に意見を伝えたり、言われたことを受け止めるなかで、なんでも言い合える理想のチームができました。「インフィニティ国際学院」で手ごたえを感じるようになってから、一気に「一生つきあっていきたい」仲間が増えたのです。これまで考える事を避けてきた概念だったので、自分でも驚いています。

子どもは、身近な大人の鏡です。みなさまの姿を見ながら子どもは育ちます。大人が変わらなければ、世の中は変わらないのですよね。生徒たちは懸命に課題にぶつかりながらも、話し合いを重ねる大人の背中を見て、学んでいます。

私自身はこれから年を重ねても、子どものような純粋な気持ちを大切にしながら、試行錯誤する様子や、自分の感情を言葉で伝えていきたい。まさに「オトナノセナカ」を見せ続ける事に挑戦したいのです。それが「一つのことを成し遂げるチームづくり」に必ず繋がると信じています。


7_ワタシノセナカ_高橋 有希子様_取材集合写真

~編集後記~

教育者として、その中でも、“オルタナティブ教育の普及”というチャレンジングなフィールドで活躍されている高橋さんに今回はお話を伺いました。

印象的だったのは、教育者といえば、親や先生、地域の人と一緒になって、子どもたちを率先して巻き込んでいくことが好きな人がやることだというイメージでしたが、高橋さんはチームで進めていくことに苦手意識を持っていたということ。また、先生といえば、カウンセラーのように、こどもや先生と対話する能力が求められる立場でスキルも経験も豊富というイメージでしたが、高橋さんは、スキルや経験も豊富であった一方、自己と対話ができるようになったのはここ最近であったということ。

対話やコミュニケーションのスキルや経験が豊富だからといって、本当の意味での自己や他者との対話ができるわけではないということに、今回気づかされました。また、幼少期に自己を認める環境が整っていない場合は、後天的にどこかで壁にぶつかって、それを受け入れることで初めて、深く自己に気付き、認めることが多いのかもしれないとも感じました。

いつも前向きでエネルギッシュな高橋さんは、まるで”アクセルベタ踏み”の車のような突進力です。近年、自身の心身の声に耳を傾けられるようになったことで、“ブレーキ”という武器を手に入れた高橋さん。ブレーキが踏めるから得意のアクセルが思いっきり踏める、そのスタイルを確立したことで、より自身の個性が好きになったのではないかと、お話を伺っていて感じました。

そんな自分に素直に生きる高橋さんは、こどものみならず、周囲の大人への勇気・エールとなって、今後も多くの人を導いていくのだと思います。


企画者(メイン)
事務局メンバー 柳橋 歩(1児の男の子のパパ)
柳橋 歩
取材ライター(インタビューワー)
長島綾子(1児の女の子のママ)