【ワタシノセナカ】「泣いていた心の中の私」と手を繋ぎ生まれた、揺るぎない自分への信頼|服部秀子様


概略

今回インタビューにお応えいただくのは、私塾「そらとくらす」を運営する服部秀子さんです。
17歳で母になり、通信制大学で教員免許を取得。10年間の教員生活の中で「イエナプラン教育」の専門教員免許を取得。日本初のイエナプランスクール「大日向小学校」で教師をした後、独立して「そらとくらす」を開塾した服部さん。服部さんはご自身とどのように向き合い、今のスタイルを築いたのでしょうか。そのヒミツに迫ります。

ワタシノセナカとは

「自己肯定感」が低いといわれる日本人。
それでも自身の個性を活かし、第一線で活躍するオトナはたくさんいます。
彼らはどのように自己を肯定し、他者を受け入れ、活躍に結びつけているのでしょうか。
第一線で活躍するオトナに直接インタビューし、その核心に迫ります。

プロフィール

01_服部秀子_プロフィール_図1

服部秀子様

17歳で母になり、シングルマザーとして働きながら通信制大学で教員免許を取得。27歳より公立小学校教諭として働き始めるが、日本の教育現場に違和感を抱き、海外の教育法を模索。
イエナプラン教育を学ぶためオランダに3度渡り、専門教員の免許を取得。
2019年に長野県佐久穂町に開校した日本初のイエナプランスクール「大日向小学校」で勤務後、独立。
自己選択、自己決定など学びのプロセスを大切にした学習観を社会に広げるために「そらとくらす」を開塾。塾運営の傍ら、葬儀業に従事。趣味はギターとパラグライダー。

著書:「それ、ほんとにそう思ってる?」子どもに関わるすべての大人に問いかけたい
note:

ひでこや@教育

「そらとくらす」で大切にしていること

2022年4月から「そらとくらす」という塾を長野県佐久市で運営しています。「そらとくらす」は、子どもが「自ら学ぶ」学習法に特化した、「教える」ではなく「伴走」する形の学び場。子どもたちの「やってみたい!」という内発的動機づけを育むことを目的に、「自分で選ぶことができるという実感」「成長しているという達成感」「信頼と尊重のある関係性」の3つを大切にしています。

「そらとくらす」では、生徒一人一人が取り組みたいものを決めて、どのようにやればいいか方法を考えたり、実践のプロセスを実体験する学び場。開塾当初は、個別対応と少人数対応を用意していましたが、個別対応のニーズが高かったため、現在は個別対応のみを行っています。

「そらとくらす」では、子ども自身が入塾を希望しない場合、入塾をお断りします。親御さんのご意見だけで入塾しても「自ら学ぶ」姿勢を育むことは難しいから。入塾前に、子どもとさまざまな話をします。私はこんなことをやっています。あなたがやりたいことに、私が必要であれば言ってね、という具合に。話をしていくうちに「そらとくらす」でどんなことをやりたいか、だいたい決まります。

受験を控えた子は受験勉強をするし、教材も一緒に選びます。もともと小学校教諭だったので、小学生の勉強は問題ありませんが、中学生の勉強は難しいですね。英語と数学は教えられるようになったけれど、教えられないものは、一緒にYouTubeの動画を見て学びます。親御さんは私の著書やnoteを読んで価値観の合う方が来てくださるので、入塾前にすべてお話し、共感された方が入塾するという形が自然と出来上がりました。

勉強が苦手な子とは、一緒にボードゲームなどをして遊びます。ボードゲームも立派な学びの場。「これも勉強だよ、これも勉強なんだよ」と、「ゲーム」をしながらその子の「勉強」の枠を少しづつ広げる感覚です。子どもは「勉強」などと名前をつけなくても勝手に学んでいくので、本来なにも問題ありません。その中で必ず「得意なこと」が出てくるので、「こういうことが得意だね、できるね」と伝え、できること、やれることを子どもが認識できるようにしています。

「そらとくらす」で子どもと接するときに大切にしていることは、「その子が将来幸せになっているイメージを想像しながら接する」ということ。それを意識するかしないかで、子どもへのほんの些細な表情や振る舞いに、大きな違いが生まれてしまうからです。

人間が生きる目的は「幸せになること」。子どもたち一人ひとりの「幸せ」を信じて伴走することが、その子が自分の幸せに気づく「学び」だと考え、「そらとくらす」を運営しています。

人と比べてばかりの私が自分と対話できるようになったきっかけ

02_服部秀子_人と比べてばかりの私が自分と対話できるようになったきっかけ_図1

いまでこそ、自分と対話し、自分に全幅の信頼を置いていますが、少し前までは人と比べてばかり。「もっと頑張らなければいけない」と、いつも頭と体がフル稼働でした。

前回の記事、「体を壊して初めて気づいた、自分の感情と向き合うことの大切さ/高橋有希子様」を読んで、「頑張ることに依存していた私」という点に共感しました。当時の私は「行動していないと他者から認めてもらえない」と自分を追いたて、心の声など意識すらしなかったので。

頑張ることから抜け出したきっかけも、高橋さんと共通します。2022年に2ヶ月間一人旅をする中で、自分と向き合い、自分と対話することで人生が大きく変化する体験をしました。

自分の思っていること、感じたことをすべてノートに書く作業を続けたのです。もともと考え過ぎるところがありましたが、旅行中、気づくと頭の中の思考が散らかり放題。100均で大きなノートを買い、思考を書き出す作業をはじめると、自分でも驚くほど止まらずに、毎日何ページも書きました。ときには涙を流しながら。あるとき、一瞬にして世界が変わるような体験をしたのです。

その旅や書き溜めたノートがきっかけで、著書「それ、ほんとにそう思ってる?」子どもに関わるすべての大人に問いかけたいの出版が実現しました。

これはあくまで私の場合で、「自分との対話」の形はみなさん違います。出版から2年近く経つ著書を読み返してみると、私って猪突猛進で読んでいて疲れるなあと思いましたね(笑)。記事を読んでくださる方が、なにかを考えるきっかけになれば幸いです。

17歳で母になる。働きながら教員免許を取得

三人兄弟の末っ子。ごく普通の家庭で幸せに育った私は、大人に「ダメ」といわれることほどやりたがる、好奇心旺盛な子どもでした。「人は練習すれば必ず水の中で息ができる」と信じ、苦しい練習を続けた末「人は水の中では息ができないんだ」と納得したことも。

高校2年生のとき、予期せぬ妊娠をしました。両親は必死で止めましたが、私には「産む」以外の選択肢はなく、17歳で出産。当時通っていた高校には妊娠した女子学生が通学する許容がなく、単位制の高校に編入します。結婚もしましたがほどなく離婚、シングルマザーとなり仕事と子育てを両立させました。

「若く産んで苦労したでしょう」と何度も言われますが、若くなくても育児はたいへんです。私にとって、育児は最高の時間でした。子どもの寝顔を見れば、どんな疲れも本当に吹っ飛ぶのだと知りました。

息子が小学校に上がったとき、「いつかこの子は私の元を巣立つ」とハッとしたのです。息子のためならどんなことも頑張れるけれど、この子が巣立ったら私はどうやって生きていくのだろう。彼が巣立った時、育児と同じくらいやりがいのあるものを持っていたいと。

最初に興味を持ったのが「途上国支援」。高校の頃、電車で青年海外協力隊の吊り広告を見て気になっていたんです。「私はこれをやりたかったんだ!」と奮い立ち、途上国支援に関わるさまざまな組織を調べました。unicef、UNHCR(国連難民高等弁務官)、JICA(国際協力機構)、NPOやNGOの資料をたくさん取り寄せると、たいていの求人は修士号と英語堪能が必須。高卒で箸にも棒にもかからない私は、よし!今から勉強しよう!と決心しました。まずは修士号を取るために大学を出ようと、仕事と育児をしながら学べる通信制の大学に23歳で入学。息子が小学1年生のときです。

開発学の修士号を取ることを目指しました。通信制大学には学部がそれほどたくさんないので、潰しが効きそうな経済学部へ入学。学びながらフィリピンへの支援団体でボランティアをするなかで、「教育」の重要さを目の当たりにしました。

どの国も課題の裏には、「教育」が必ず存在する。しかも国連などの大きな組織では、子どもたち一人ひとりの幸せまでにはとても手が届かない。

現場で仕事したい。現場で子どもたちと接したい。「やっぱり教師になろう!ゆくゆくはカンボジアで教師になるぞ!」と方向転換をして教育学部に転部。教職免許を取りました。

公立の小学校教員になって。あれ?なんか変だぞ。

03_服部秀子_公立の小学校教員になって。あれ?なんか変だぞ。_図1

公立小学校で働き始めたのは2011年のこと。息子は小学校5年生、母は教員1年生。それまでいくつかの会社で社会人経験を積みましたが、教師として教室に入ると、その世界は独特でした。大人の都合でつくられたような規則、子どもが置き去りにされてしまった授業…

全ての子どものためのセーフティーネットである公立学校。「公立が変わらなければ教育は変わらない」とがむしゃらに働きました。けれど、自分の教室は変えられても、学校全体を変えることなどできない。学校が変わったとしても、校長先生が代わればまた様変わりしてしまう。その繰り返しだと感じました。

教師になって数年経ったころ、思いがけず「イエナプラン」という教育法に出会います。「イエナプラン」とはドイツで生まれ、オランダで発展した教育法。学習者自らが学習計画を作り学習することで「自立」を学び、他者と自己の「違い」を生かしながら協働的に活動することで「共生」を学ぶ教育法です。イエナプランを知ってから、のめり込むように情報を集め、2ヶ月後にはオランダのイエナプランスクールを視察していました。それ以降もオランダにたびたび来訪し、ついにイエナプラン専門の教員ラインセンスを取得。

2019年、長野県佐久穂町に日本初のイエナプランスクールが開校しました。
息子は大学生になり、私は地元名古屋を離れ、長野に移住。日本初のイエナプランスクール「大日向小学校」で働き始めます。心機一転、これからは場所を変えてやってみよう!大きなチャレンジでした。

日本初、イエナプラン教育に基づく大日向小学校で見たものは

「ここでなら私の理想とする教育を形にできる!」大きな期待を胸に入った大日向小学校。今も素晴らしい同僚たちが活躍する大日向小学校を、私は2年で辞めました。

日本で初めて導入された教育法。折悪くコロナが蔓延し、オンライン授業など全てが手探りの中、一つひとつ、授業を創作しては問題が生まれました。それを繰り返すうち、次第に私の心と体はバランスを崩していきました。

素晴らしい理念のもと誕生した大日向小学校。でも、「学習指導要領」という縛りがあるなかで仕方なく生まれてしまうしがらみや矛盾に、私の体がついに悲鳴をあげたのです。

数ヶ月間続いた体調不良には原因が見当たらず、気づくと何かしらの薬を飲まないと子どもたちの前に立てない状況でした。その後、医師からの診断で退職を決意します。

教職に就いて10年。「イエナプランの服部秀子」という認知度も生まれ、「休職」という選択肢ももちろんありました。「大日向小学校が素晴らしい学校だと世間で評価されるようになったら、私は辞めたことを後悔しないか?」と何度も自分に問いかけましたが、答えは「NO」。ここに私にとっての希望はない。私がやりたいことは違う。身をもって知り、10年の教員人生にピリオドを打ちました。

抜け殻になって。大切なものをぜんぶ手放した

04_服部秀子_抜け殻になって。大切なものをぜんぶ手放した_図1

大日向小学校を辞めた時は、まさに「抜け殻」状態でした。ひたすら猛進した教員の未来には、何もなかったから。自分の経験や能力の中で「一番価値がある」と思いこんでいたものを手放してしまった。子育てしながら苦労して取得した教員免許。今でも同僚は頑張っているのに、どうして私は頑張れないんだろう。自分を責めることもありました。

1年は何もしないぞ、と決めたにも関わらず、知り合いのオンラインスクール立ち上げに協力したりと、考えることは教育のことばかり。

1年のタイムリミットが近づき、「次のスタートを切れるのか」という焦りが私を襲いました。モヤモヤが常にまとわりつき、このまま1年が終わり、また同じことを繰り返してしまいそうな予感。自分の根っこがなにも変わっていない感覚に苛まれました。

残り4か月になったとき、「一人で旅に出よう」と思い立ちます。

一回ぜんぶ手放してみよう。自分が大事だと思っているものをすべて手放せば、大切なことがわかるかもしれない。やっぱり大切だと思ったらまた手に入れればいいのだから。

当時の私にとって、住んでいる場所やそこでできたたくさんの友達、環境は財産でした。それを一旦手放すこと=「旅に出る」という選択でした。「ADDress」(月額数万円で日本全国200箇所の拠点に自由に泊まれる)というサービスを活用し、車で移動しながらの旅がはじまりました。

ぜんぶ手放したら思いがけず実現した夢

長野を出発し、関東、中部、近畿、四国を巡りました。景色のよい場所を調べては写真を撮ったり、散歩したり、スーパーで地元食材を買って宿で調理したり。ときにはADDressの会員の方と一緒にご飯を食べることもありました。

旅をはじめて10日ころ、kindle出版に携わる方と出会い、著書「それ、ほんとにそう思ってる?」子どもに関わるすべての大人に問いかけたいを出版するチャンスを掴みます。

実は旅に出る少し前からnoteに自分の思いを書き溜めていて、「いつか書き溜めたことをKindleにできたらいいな」と友人に語っていたのです。思いもよらない出会いから夢が実現してしまいました。「絶対出すぞ!」と意気込んでいたのではなく、たまたまの流れで出版が決まって。Kindleを出版した7か月後に、ペーパーバックを発行しました。本の印税はすべて、全国のフリースクール、オルタナティブスクールに寄付させていただいています。

Kindleを出版するためにも自分の思考を整理しようと、考えていること、感じたことをノートに書きだす作業を開始したのもこの頃です。旅の途中でノートを広げては、書きなぐるように思考を吐き出しました。

泣いている自分がいた。人生が大きく変化した体験

05_服部秀子_泣いている自分がいた。人生が大きく変化した体験_図1

自分の思考を書き出す作業をはじめてから1か月ほど経ったとき。ある情景が目の前に広がり、自分の見えていた世界が大きく変化する感覚を味わいます。うずくまって泣いている、もう一人の自分の姿が見えたのです。おかしなことを言っているようですが、もう一人の私が、悲しそうに泣いている姿が目の前にありありと浮かびました。

それまでの私は根性論で生きているところもあり、いつもポジティブで、私は大丈夫です!というふりをするのが上手でした。17歳で出産してからずっと「みんなと同じようにならないといけない」と自分を追いたててきたのだと思います。学校を卒業して、社会人になって、結婚して、子どもを産んで、という「普通の順番」を逆走してしまった私。ずっとどこかで「普通になれなかった」自分に劣等感を感じていました。息子はとても可愛かったし、産んだことを後悔したことは一度もありません。でも、「自分はダメだ」という劣等感が常にまとわりつきました。教師という職業を選んだのは「ちゃんとした仕事に就いている」という自負と、両親を安心させたい、息子にとって恥ずかしくない仕事をしたいという思いもあったから。

基本ポジティブですぐに行動する私は、周囲からはうまくいっているように見えたかもしれません。でも実際はいつもグラグラで自信がなくて、不安でいっぱいでした。「もっと頑張らなければいけない」と、泣いている自分を見てみぬふりをして追い立ててきました。

泣いている私に手を差し出して、彼女の手を握りました。ずっと泣いているのに気づかないふりをしてごめんね。本当にごめんなさい。謝って、彼女と手を繋ぎました。

泣いている私と、見ないふりをして頑張り続ける私。それまで二人の私は離れ離れに存在していましたが、二人が手をとりあい、一緒になれた安心感で満たされたのです。

自分を信じられれば、自分を大切にできれば大丈夫。無理して頑張る必要なんてない。誰になんと言われても問題ではない。自分を信じていれば、自分さえ信じていれば、こわいものはない。心から思えるようになりました。

一瞬にして起こった変化

変化はびっくりするほど一瞬にして起こりました。泣いている自分と手を繋いだ日から、もう帰ろう!と長野に方向転換。ノートを広げて思考を書き出すことも気づくとなくなりました。

その後、2022年4月に「そらとくらす」を開塾します。旅に出る前に感じていた「大日向小学校の近くで新たに活動を始めたらなにか言われるのではないか」という不安。「人に何を言われても関係ない!自分さえ信じていれば大丈夫!」と全く気にならなくなりました。

他人の目をまったく気にしなくなり、人を羨ましく思うこともなくなり、さらには周囲にイヤな人がいなくなりました。みんな大好き!人間関係の悩みはゼロです。

自分の人生に全幅の信頼を寄せることができるようになったのです。なにがあっても大丈夫。うまくいくようになっている。ちゃんと手を繋いでいる限り、絶対に大丈夫、と。

自己肯定感は「育む」のではなく「守る」もの

06_服部秀子_自己肯定感は「育む」のではなく「守る」もの_図1

「自己肯定感」って、人間に生まれつき備わっているもので「育む」のではなく「守る」ものだと考えています。「自己肯定感」も「好奇心」も、私たち人間は本来持って生まれてくる。幼い子どもはだれもが好奇心旺盛です。それを、環境の中でいかに守れるかが大切だと思います。

自分に自信がない頃の私は、もともと備わっていた「自己肯定感」や「好奇心」が、踏み潰されたお花畑のような状態だったのかもしれません。自己肯定感や好奇心に溢れた子どもの私と、年を重ねるごとに生まれたもう一人の私がどんどん離れてしまった。ひざを抱えて泣いていた私は、子どもの私だったのかもしれません。子どもの私と手を繋ぐことで、大人の私が子どもの頃に戻ったような感覚です。だからいま、とても幸せで、怖いものがゼロなのかもしれません。

そうはいっても、もちろん嫌なことは起こりますよ。落ち込むことだってあります。そんなときは、昼寝、散歩、美味しいものを食べる。これをやればたいてい元気になるとわかっているので、嫌なことがあっても怖くありません。落ち込んでも自分が心地よくなれるアイテムを持っていることは大事なことなのかもしれません。

「そらとくらす」で子どもと接する前にも、自分のコンディションを整えることを大切にしています。時間が許せばお昼寝をすることも。一緒にテストの点数で落ち込んでしまうわけにはいきませんからね。

目標は、ない。「今」を精一杯生きるだけ

「そらとくらす」の運営は、経済市場から脱したいという思いが強く、「ライフワーク」という位置付けで行っています。そのほかの仕事として、先日から「葬儀屋さん」のお仕事を始めました。それまで違う仕事をしていたのですが、よりやりたい仕事に就きたいと転職。

なぜ葬儀屋さんかというと、「人間の死」についてもっと知りたいからです。「人間の死」を知ることで「人間の生」の理解が深まると考えるから。これまでは小学校の教師として、どちらかというと「命の誕生」にフォーカスしてきました。

教育に携わるからには「人間とはどのような存在か」ということについて、自分なりの考えを確立することが大切だと考えています。

「人間とはどのような存在か」に正解はないし、誰かがつくった言葉や答えには、興味がありません。人間の生と死、どちらも知って、服部秀子なりの答えを導けたらいいなと思っています。

亡くなった方に出会うたび、人間ってみんな、とっても美しいんだとハッとさせられます。誕生したばかりの赤ちゃんも美しくて、死ぬときも変わらない美しさが人には存在する。人は誰もが美しく、幸せで、自由で、素晴らしい存在なんだとしみじみ感じるようになりました。

「これからの目標」ですか。うーん、特にないです。ずっと「今を生きる」ことを精一杯楽しみたい。やりたいことがたくさんありすぎて、時間が足りません。趣味のギターとパラグライダーも、「そらとくらす」も「葬儀屋さん」も全部やりたいことで、「今やりたい」ことに時間を使いたい。これは違うな、と思ったら、やめて次のやりたいことに時間を使えばいいと思っています。

「オトナノセナカ」の活動は、私がイエナプランを学ぶためオランダを訪れたときに見聞きしたことに似ていると感じました。オランダって、大人が幸せそうなんですよ。子どもよりも。幸せそうな大人を見て、子どもが大人になることを楽しみに育つ。それが一番大切なことなのかもしれません。

「幸せ」とはなにか?人によって答えは違うと思いますが、私は「自分を信じられること」だと思っています。逆にいえば、たいていの不幸は人の物差しではかることから生まれるから。

つい忘れてしまいがちですが、キレイなお水がすぐに飲めること、スマホという便利なものがあること、足があってどこにでも歩いていけること、それはものすごく幸せなことなんですよね。

それなのに、あの人はオレンジジュースを飲んでるし、あの人のスマホは最新だし、あの人は足が速いし、と比べたとたんに不幸になってしまう。

「人は誰もが、その人らしく幸せに生きる価値と力がある」というような、自分なりの人生の哲学を決めてしまえばいい。決めたら、現実はそのようになっていきます。人は自分の信じた通りにしかなれないので。それを他人に納得してもらう必要は全くなくて、自己完結でいいと思うんです。

人は本来、「自己肯定感」も「好奇心」も「幸せ」もすべて備えて生まれます。誰にでももともとあったものが、さまざまな経験のなかで置きざりになってしまっただけ。忘れてしまった大人は、取り戻せばいいのだと思います。

07_服部秀子_目標は、ない。「今」を精一杯生きるだけ_図1


~編集後記~

服部さんとの出会いは、服部さんの著書「それ、ほんとにそう思ってる?」子どもに関わるすべての大人に問いかけたいを拝読して、私がモヤモヤしていたことをスルスルと言語化されていて、その言葉の強さにも感銘を受け、インタビューをオファーしたのがきっかけでした。

実際にお会いした服部さんは、物腰がとても柔らかく穏やかで、それでも語りだすと深く芯があるという不思議なパワーをお持ちの方でした。そんなお話の中で印象的だったのは、自己肯定感って無理に高めたり、育むものではなくて、本来持っていることに気付いて、「守る」という視点。ご自身の経験談の中で、「ひざを抱えて泣いていた私は、子どもの私だったかもしれません」というお話がありましたが、 その子どもの私はきっと、“子ども”の頃から変わらぬ、純粋無垢な私で、その“子ども”の私が「好奇心」も「幸せ」もとっくに全て知っているって発想がとても新鮮でした。子どもの頃って懐かしむものであって、成長前の不完全な自分だと思い込んでましたが、純粋さはむしろ、大先輩かもしれないな、なんて思ってしまってなんだか嬉しくなりました。

そう考えると、私たちができることは、自己肯定感を高めたり、人と比較したりするのではなくて、自分の中に隠れている”子ども”の声をじっくり聴くこと、そして、ありのままの自分に再度出会い、心の思うがままに感じて動いてみることが、自らにとって一番の幸せになる。さらには、その姿を周囲の人たち、特に、子どもたちに見せることこそが人間としての学びになるのではないかと思いました。私たち大人ができることはまだまだいっぱいあるなと、深く考えさせられるのでした。

取材協力場所:シェアスペース「TELT」様
https://rangeland.jp/telt/
〒385-0051長野県佐久市中込1丁目20−5中込商店街グリーンモール
営業時間 9:00-18:00 定休日 毎週火曜日

07_服部秀子_目標は、ない。「今」を精一杯生きるだけ_図1

07_服部秀子_目標は、ない。「今」を精一杯生きるだけ_図1