子どもたちがもらたすもの


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今日珍しく平日の昼前にマンションのエレベータに乗った。そこで、初老の男性に連れられた姉妹二人組と一緒になった。

姉妹は四歳と二歳ぐらいで、はじめ、上の女の子が僕の方をチラチラ見ながら、祖父と思われるその初老の男性と何気なく話していた。

僕を少し気にする素振りをするその女の子に、僕は微笑みかけた。「僕も同い年ぐらいの子どもがいて、君たちのことはよく知ってるよ」という気持ちで。女の子は少し身体を大きく動かして、嬉しそうな感じの仕草をした。

ほどなくして祖父と姉妹は先にエレベータを降りた。そのとき、僕が「バイバイ」というと、上の女の子が「バイバイ」と言ってくれた。間髪いれず、下の女の子も辿々しい口調で、しかし、しっかりと僕の方を見ながら笑顔で「バイバイ」と言ってくれた。

エレベータが閉まった。何故だかこの時ジーンときてしまった。何だろう、このジーンとくる感覚は。仕事から帰宅し、自分の子どもの寝顔を見るときに得られる感覚のようであった。

なぜ、自分の子どもでなくても、こんな穏やかな優しいジーンとした気持ちが生まれるんだろうと考えた。これまでこんなことは無かった。仮に母性的な生理現象や優しさと片付けてしまえばすむ話かもしれないが、しかし、考えてみることにした。

そして、「待てよ!」と思った。

ジーンとくるときは決まっていつも、「やっぱ、(自分の)こどもって良いなぁ、大切にしないとな」と思っていたが、実は何も考えていないことに気付いた。なぜなら、こどもの“何が”良いのかに全く触れていなかったから。つまり、ジーンとなる要因を突き止めていなかった。

本当の要因は、「何の前知識もなく、僕を丸ごと受け入れてくれた」こと、そして、それに対する自我の『歓び』だったのだと気付いた。だから、それを与えてくれる「こどもって良いなぁ、大切にしないとな」と感じていた。

そう考えてみると、僕らオトナはあまりに普段から、

・見た目含めて前知識で人を判断し、接し方を決めていること
・丸ごと受け入れられる経験が無いこと

が日常化してしまっているのだなぁと自分を通して思ってしまった。

そして、僕らオトナは、このこどもがもたらす純粋な『無償の愛』にある種の癒しを求めているのかもしれないなとも。

私たちオトナは、もっとこどもをリスペクトし、彼らが得意の『無償の愛』など、こどもから日々学ばせてもらっているという姿勢が求められているのであろう。

そう考えると、神様はまぁ良くもこのような仕掛けを入れ込んでくれたなぁと、改めて感心してしまう。

子育てなど、こどもと接しているあなたが、「こどもから学んだこと」は何ですか?

事務局メンバー やぎちゃん(柳橋歩)
(1児の男の子のパパ)
柳橋 歩